仕事というのは様々な「トラブル」が付きものである。
「仕事」と限定するのも良くないが、全ての事は「予測通り」には行かない。
人生もそうである。
病院業務にしてもしかり。
管理者というのは、そのトラブルをうまく回避したり、ダメージの回復を早めるのが仕事である。
「予測する」ことも大事であるが、「レジリエンス」もそれ以上に大事である。
色んな事が現場で起きる中、常に「選択」を迫られる。
常備の薬が1包足りません。
セーレが1本足りません。
患者さんのタオルが1枚無いそうです。
患者さんが転びました。
薬剤の投与忘れが発生しました。
患者さんがエスケープしていません。
というトラブルは日常的である。
緊急性のある場合は管理者が適切に判断して、「指示」する事が求められる。
しかし、「同じ事」が起きないようにするにはどうしたらよいか・・・は
スタッフと共に考えなければならない。
「常備の薬が1包足りません」は
「こういう事態が起こらないためにどんな工夫をすれば良いか」
「薬剤の投与忘れが発生しました」は
「なぜこのような事が起こったのか、同じ事が起きないためになにをすべきか」
など、「次を予防するには・・」は管理者が「指示」してはいけない。
現場で働いているのは「スタッフ」である。
管理者がそこに首を突っ込み出すと必ず齟齬(そご)をきたす。
人間は『他人に言われたことは行いたくない』のだ。
これは大前提で知っておく必要がある。
なので、管理者が「答え」を持っていたとしても、絶対に言ってはならない。
すぐに答えを言うバカな管理者も多いが、その管理者の部署は常に「対応に追われている」はずである。
管理者が言った途端、「やりたくなくなる」のが人間である。
自分たちで解決したように「仕向ける」のが管理者の仕事である。
手柄は全て「スタッフ」であり、管理者は「何もしていない」風に見せるのである。
私がよく使う方法に、「悩んだふりをする」というのがある。
「どうしたら良いかなぁ~」
「困ったなぁ」
とブツブツ言うのである。
若いスタッフに「ねぇ、どうしたら良いと思う?」「困ってて・・」と頼るのも良い。
そして、誰かが「こうしたらどうでしょう?」と出たときがチャンスである。
「なるほど、それは良いアイデアだね」
と言う。
あとはスタッフから意見がどんどん出て、積み重なり、アイデアが形となっていく。
「どうしたら良いかな?」
「良いね」
と言うだけで良い。
管理者が「私がスタッフの時はね・・・」などと武勇伝を話し始めるケースは最悪である。
そういう「意図」はなくても、遠回しに「こうしなさい」と言っているようなものである。
この管理者は
「組織では『何を話すかではなく、誰が話すか』が優先される」という事を
理解していない人間である。
成長する組織というのはスタッフ同士で決めていく。
「自分たちの職場は自分たちが良くする」のだ。
トラブルがあった時にだけ、
管理者が「報告ありがとう!あとは任せて」と出て行けば良い。