看護師の「年休」はたいてい「流れる」。
「おかしいじゃないか!」と声を荒げたくなるが、これが現実。
法整備でもしない限り、この現状は続くだろう。
私はもう諦めているし、そもそも配布される年休が多すぎると思っている。
40日という数字を見るから「少ない」と思うのだ。
はじめから「ゼロ」と思っていれば、何の問題もない。
公休があるから、十分に休めている。
まだ看護師になっていない人で「休みが欲しい」と思っている人は覚悟しておいたほうが良い。
「おかしな事」がまかり通っているのが社会。
しかし、年休ってどれくら取れているのでしょうね?
私の場合、30日以上は毎年「流れて」いる。
日給が2万円として、60万円くらいは捨てている感じかもしれない。
組織によってさまざまだと思うが、消化の格差は大きそう。
昨年の4月から「5日以上の年休消化」が義務付けられた。
看護管理者は躍起になって「5日づつ」スタッフに与えているが・・・
よく考えるとおかしくない?
病院から20日年休もらっている人も、40日年休もらっている人も「5日?」
「5割」とか「8割」とかやるべきじゃないのかな?
コレやると、診療報酬の条件を満たせずに、
誤魔化しに入る病院はたくさん出るだろうけど・・・
そもそも、「人が足りない」んですよ。
20年前に比べて、明らかに高齢者は増えているし、
家族は来ないし、教育は『濃く』なっているし、チェック項目は増えている。
そして看護師が苦手な「電子カルテ」で時間がかかっている。
ハード面はどんどん変わっているのに、
ソフト面(人)がそれに追いつかず、整備されていない。
10年・20年前と同じ仕事をやるのは「無理がある」と気づくべきだ。
先日書いた「ゆでガエル」の話と同じ。
「2時間ごと」が好きな看護師
2時間毎の体位変換
2時間毎のおむつ交換
に命をかけている施設もまだ多いんじゃないかな?
「だって、2時間毎って決まっているじゃん」
「褥瘡できたらどうするの?」
「倫理に反する」
「エビデンスがない」
など「正義」を振りかざして大声だす人もいるんだろうけど、もう少し俯瞰して見て欲しい。
ずいぶん前から
「マットレス」は進化している。
「おむつ」も良くなっている。
医療はガイドライン化が進み、「点滴の内容」や「栄養剤」も良くなっている。
全てにおいて「質」は上がっている。
私たちは、その進化に合わせて「評価」して「変化」させてきたのか?
という話。
そもそも、物品の「改良」に「研究」や「論文」が追いついていない。
「エビデンスがない」と言われれば、それまでだが、
医療者の「エビデンス」は研究任せだというカラクリも知っておくべきだ。
「現場の実績」を「研究」としてまとめなければ「エビデンス」とされない。
エビデンスはある方が良いが、エビデンスが無ければやってはいけないわけではない。
看護師の中には「体位変換を減らす」=サボっている と単純に考える人もいる。
「おむつ交換を頻回にする」=ケアが行き届いている と信じている人もいる。
深夜帯に体位変換を行う事で患者の睡眠は削られている。
尿とりパッドは「進化」したのに、「1回しか排尿されていないパッド」を交換される現状。
だって、「出てる」と知ってしまったら変えないとダメでしょ。。。
という思い込み。
これにより、大量のコスト(おむつ代)とゴミ(おむつゴミ)、看護師や介護士の労働力・・・
ムダに局部をさらされる患者の精神的な負担。
が発生している。
考え方は人それぞれなので、別に「こうしなさい」とは言わないが、
もう少し自分たちで考えてやり方を変えたほうが良い。
そもそも、「足りない人数」で「無理な仕事」をやっている方が患者に迷惑をかける。
認知症のケアで困っているのは患者ではなく自分たちだ。
自分たちが困らないようにする工夫は自分たちでやるしかない。
「誰かがやってくれる」日は来ない。
それに、「人を増やして欲しい」と言ったところで人は増えない。
そもそも、病院の上層部(管理者)は人を増やすつもりなんてない。
口では「うんうん」と言いながら、「これ以上人件費はかけられない」と考えている。
今いる人数で、今いるメンバーで工夫するしかない。
これがカイゼン。
コメント