師長になると「スタッフを怒る立場」と思われがちであるが、怒られないわけではない。
- 患者のクレーム対応で患者や家族から怒られる
- 部署の事故報告時に看護部長から怒られる
- スタッフ教育ができていないと医者から怒られる
など、怒られる対象は変わってくるが、師長になっても怒られるのだ。
師長によっては「怒られないため」にスタッフへの当たりが強くなる人がいる。
こういう人は、自分が怒られないためにスタッフをコントロールしようとしているのだ。
良い方向にコントロールできれば良いのだが、この場合、たいていうまくいかない。
「怒られないため」という防衛反応の先にあるのは、スタッフへの「攻撃」となる場合が多い。
「またこんなことやって!」
「この前言ったよね?」
「同じミスばかりして!」
と個人攻撃になると、絶対に良くならない。
ひどい師長になると、「自分で部長室に報告に言っておいでよ!」と言い出す始末。
個人攻撃は、改善が見込めないので、モグラたたきを永遠とやらされる羽目になる。
結局自分の首を自分で締めているようなものだ。
「怒られたくない」という心情はわかる。
誰だって、他人に嫌なところを指摘されたり、怒られたりするのは嫌なものだ。
師長だって人間だ。
他人から怒られるのは気分がよいものではない。
ましてや、スタッフのミスで管理責任を問われて『怒られる』のは腑に落ちない部分もある。
だから、「上手に怒られるスキル」を身につけておくべきであろう。
「怒られること」を楽しむのだ。
「怒り」は感情である。
わかっているようで、わかっていない人が多い。
「感情」に「理論(説明)」は効かない。
「説明して!」と強い口調で言われるかもしれないが、単に「説明」を求めているのではない、相手は「私のこの気持を何とかしてよ」と言っているのだ。
相手の怒りをゼロにする事は難しいかもしれないが、コントロールして短時間で、次につながるテクニックを使う。
簡単言えば、報告を受ける側の気持ちを察知して、「もし自分が報告を受けるならどんな報告の方法がいいだろう?」と想像する。
A師長は報告の時に「スタッフがまたミスをしました」とスタッフのせいにする。
こういう報告は「他人事」に聞こえてしまう。
「私には何も不手際はありませんでした」と言っているのと同じだ。
「あなたは管理者として何を考えているのか?」と相手に思わせてしまう。
B師長は「スタッフがミスをしましたが、私が良く見ておくべきでした」と報告する。
これはスタッフを守ろうとする管理者の姿勢が見える。
更に、起こった事象を他人事にせず、自分も何かを取り組もうとしているようにも見える。
加えて、「次回はこのような事が無いよう、部署で話し合い取り組みます」と言えば、今より良くなる未来(希望)を聞いている相手に与えられる。
聞き手に期待を抱かせるのは大事なポイントである。
簡単に言えば、初めから自分で「私のせい」にしておくべきである。
こうやっておけば、相手は責める言葉を失う。
上手くいけば、「いやいや、あなたは何も悪くない」などとサポートしてくれる人もいるかもしれない。
心理的負担の大きさを考えると、自分で自分を悪者にする事の方が負担は軽い。
相手が責める言葉を失うほど自分で自分を戒める言葉を発するのだ。
相手がヒドイ言葉をぶつけてきても、「仰るとおりです」と「共感」するほうが良い。
ドラマのワンシーンのように「演技力が試されている」と思えば、楽しめるのかもしれない。
上手に怒られながら事を丸くおさめよう。