勝手に言いたいこと

熊本の特別養護老人ホーム「千寿園」から学ぶこと

2020年7月8日

熊本の特別養護老人ホーム「千寿園」で多くの入居者の方が亡くなったというニュース。
2階に避難できた人は助かったらしいが、1階で避難できなかった人が14名も亡くなった。

管理者になって、こういう「不測の事態に何をするか」は時々考えさせられる。

今回の千寿園のケースは、全国どこの施設で起こってもおかしくない。

100年に一度の・・・
50年に一度の・・・

という大雨はここ数年でよく見られており、「経験の無い」事を経験する可能性が高まって来ている。

 

 

最近、BCPという言葉が流行っている。

医療でもやたら「BCP」「BCP」と騒がしい。

BCPとはビジネス・コンティニュイティ・プランの略語で、災害などの非常時でも企業が存続できるよう対応策などを事前に定めた事業計画である。

私が好きな「山口 周」さんが、BCPなんて「予測できない事を予測しようとするのだから意味が無い」的な事を言われていた。

 

私も同感である。

 

ある程度の「バックアップ体制」は整えておいて良いと思うが、あまりに限定しすぎるBCP訓練など意味が無く、人間は忘れるので、混乱は避けられない。

 

いずれにせよ、「起こったとき」にいかに素早く判断できるか、誰がイニシアチブをもって行動するかが左右するわけで、中途半端に訓練していると、「あれってどうだったっけ?」と「記憶の呼び覚まし」に時間がかかり、スピードが毀損される。

 

昨年、当院でもBCP訓練なるものが行われたが、茶番にしか見えないようなイベントで、緊張感に欠け、終わったか終わっていないか分からないままに幕を閉じた。

 

どうせ、災害の当日は混乱する。

そして、管理者は「混乱がこの程度で済んだのは訓練の賜だ」とでも言うのだろう。

 

 

もうどうでも良い。

 

 

避難訓練(火災時)にしてもしかり。

寝たきり患者の多い病院で火災が起こったとき。

  • エレベーターは使えない
  • 寝たきり患者50人を、夜勤3名の女性スタッフで避難させるのは困難
  • ストレッチャーで運べるのはせいぜい1人か2人

人を運ぶのはそれだけ「体力」が必要なのだ。

 

病院の避難訓練こそ「意味がない」

明らかになる事と言えば「助けることができない」という事がわかるくらいだ。

 

初期消火に失敗したら、逃げられる人だけ逃げる・・・
それ以外はスプリンクラーに命運を託すしかない。

ハッキリ言ってそんなところだ。

それなのに、毎年毎年決まった時期に「避難訓練」を行う。
マンパワーに余裕が無い病院でやってもね・・と斜に見てしまう。

 

 

ここまでぐだぐだ書いたが、今日はこういう事を書きたかったのでは無い。
(思いのまま書いているので申し訳ないが、こういうブログなので許して欲しい)

 

「千寿園」の様なケースが、万が一「訴えられたら」という事を書きたかった。

 

ネットでは「後出しじゃんけん」が始まっており、
「寝たきり患者を1階におくとは何事か」
「ハザードマップで危ないと分かっているのに、そこに施設を建てたのか」

などと言う人が出ている。

 

下手したら家族から「管理責任」を問われて訴えられるかもしれない。

 

この場合、「予見できたか否か」が争点になるのであろうが、この「予見」は管理者は常に意識しておく必要がある。

 

今回は「災害」であったが、病院であれば、「患者の自己抜去」「薬剤投与」なども含まれる。

 

「患者が自己抜去して、出血多量で亡くなった」

患者に認知機能の低下があったのに、何も対策を講じずに管理していたために亡くなった。
予見できていたのではないか?

結果的に「看護師が悪い」となりかねない。

 

 

「薬剤を投与して副作用が出て亡くなった」

患者の過去のアレルギーを見落として副作用で亡くなった。
アレルギーの確認をしていれば予見できていたはずである。

こちらも「看護師が悪い」となりかねない。

 

私たち看護師は常に責任を追わせられるリスクと隣り合わせで働いている。
若いスタッフが多い中、管理者はそのリスクを「教育」しなければならない。

自己抜去などの「インシデント」が発生したとき、その時こそが教育のチャンスである。

 

予見できたか否かを問えば、次の対策が出てくるかもしれない。

私たちは失敗から学ぶことができる。
「常に上手くいっている」時こそ「危険」だと思っておくべきである。

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