医療の世界で「ダブルチェック」という仕組みがある。
- 輸液を作成するときにダブルチェック
- 輸液を開始したらダブルチェック(流量が正しいか)
- 内服をセットしたらダブルチェック
- 医師の指示を確認したらダブルチェック
など、色んな場面で「ダブルチェック」を行っている。
以前読んだ本で「ダブルチェック」をやらずに「セルフチェックを行う」という内容の本を読んだことがある。
恐らく『どんな問題も「チーム」で解決する ANAの口ぐせ』という本だったと思う。
(記憶が曖昧だが・・・)
その代わり、おせっかい文化を大事にしている・・・とあった。
「あれ?」と思ったときに、きちんと本人に尋ねる文化があるそうだ。
個人的にはセルフチェックに賛成したいのだが、組織文化がまだそこまで育っていない中で、勝手にダブルチェックは廃止にできない。
ダブルチェックがもたらしているインシデントはまだ調査されていない。
ダルブルチェックの制度は約70%だと言われている。
ダブルチェックを行っても約3割は見落とすそうだ。
人間の特性(思い込み)はダブルチェックでは回避できない。
ただ、チェックを増やせばよいというものではない。
3重チェック、4重チェック、5重チェックと増やすたびに制度は落ちるという研究結果があるそうだ。
ダブルチェックが崇拝される中、私はダブルチェックが業務遂行のボトルネックになっている場面を目にする。
特に新人看護師が業務を行う中で、ダブルチェック者を探し回っている時がある。
誰にでも声をかけられない状況の中で、自分の「サポート担当者」を探してダブルチェックを依頼する。
サポート担当看護師は、その都度業務を「中断」させられる。
この間にインシデントが起きても、「ダブルチェックを行ったからこのインシデントが起こった」とは誰も言わない。
足かせになっているかもしれない「ダブルチェック」という仕組みを一度評価すべきだと最近思っている。
ダブルチェックを崇拝する人からすると「誰が責任を取るんだ」と思うかもしれない。
「誰が」という考え方をしている時点でナンセンスなので、エラーが起きない仕組みづくりさえすればダブルチェックは不要になるはずである。
いつか医療安全のスタッフと話してみたい。