BLS講習で人を呼ぶ時「『誰か来てください!』と叫んでください」と習う。
昔、ニューヨーク市のクイーンズ区で発生したある殺人事件の話を聞いたことがあるだろうか?
キャサリンという20代の女性が、深夜、仕事から帰宅する途中、自宅近くの路上で暴漢に襲われ殺害された。
犯人は35分のあいだに3回、路上で逃げ惑う彼女を襲い、ついにナイフで助ける彼女の叫び声をかき消した。
信じられないことに、その目撃者は38人。
38人の隣人たちは、アパートの窓際から見ていたのに、警察に電話をかけることすらしなかった。
大勢の目の前で事件が起こっていたのに、誰も警察に通報をしなかったという事件。
実はこれ、「集合的無知」と言われる現象が生じたせいだと言われている。
多くの傍観者がいる時は、誰かが緊急事態に陥っても、人助けをしなくなる傾向が生じやすいそうだ。
助けられそうな人が何人かいれば、一人ひとりの個人的な責任は少なくなる。
「たぶん、誰かが助けるか、助けを呼ぶだろう。もうそうしているかもしれないな」というわけである。
他にも、私たち人間は、落ち着いて取り乱さない人間だと他人から見られたいと思っているから、チラッとしか見ないこともある。
すべての人がチラッとしか見ずに、落ち着いた空気を出していると、「緊急事態ではない」と解釈してしまう。
この研究結果から、緊急事態に陥った時、「人数が多いから助かる」と考えるのは完全な誤りである。
緊急の援助を必要とする人は、多くの人がいる場合よりも、たった一人の人が居合わせた場合のほうが生き残る可能性が高いかもしれないのだ。
(実験では、集団よりも一人のほうが助けてくれた率が高いというデータもあるそうだ)
その場に居合わせた人たちが「冷たい人」ではなく、人間は『集団』になればそのような行動をしがちであると知っておくべきである。
不親切なのではなく、『確信が持てない』のだ。
話を冒頭に戻そう。
集団に向かって「誰か来てください!」ではダメだ。
そこにいる『一人の人』に向かって、「あなた!そう、そこのメガネをかけて白い服を来ているあなた!」「助けが必要なんです、心臓マッサージを手伝ってください」
「そこの赤い服のあなた!119番に電話して救急車を呼んでください」と言わなければ動いてくれないのだ。
仕事も同じである。
スタッフに向かって「誰かこれをやってください」では誰もやらない。
「誰か手伝ってください」では手伝わない。
「誰か勉強会に行きませんか」では誰も行かない。
「○○さん、こういう研修があるのだけど、すごく勉強になるから行ってみない?」と個人的に声をかけなければ行ってもらえない。
『集団』に対して投げかけてはダメだ。
「あなたにお願いしたい」と個人に向かって発しないといけない。
時々、「スタッフに言ったのに、誰も手伝ってくれない」という管理者がいるが、ある意味『当たり前』である。
管理者は「集合的無知」を頭に叩き込んでおこう。