私は「ムダなこと」が嫌いである。
「ムダなこと」の定義は人それぞれかもしれないが、「行動に説明ができないこと」をムダだと感じる。
『ぼーっとすること』をムダだと感じることもあるが、ボーっとすることで頭が整理されるのならそれはムダではない。
ピアスやネックレスなどの装飾物だって、見る人にとってはムダであり、必要だと感じる人もいる。
音楽や絵画などの『アート』は現実生活に役立たないムダなものとする考えもあるが、実は人類をここまで生存させてきた、とてつもなく重要なものという考えもある。
今読んでいる本(『「超」勉強力』)の中に面白い一文を見つけたので紹介したい。
2015年、テルアビブ大学の自然人類学者の研究チームは、約5万5000年前、まだ人間が獣の皮を剥いでそれを被って着ていたような時代に、現生人類はネアンデルタール人と共存していたという説を発表しました。
しかし、やがてネアンデルタール人のほうは滅亡していきます。
現生人類とネアンデルタール人には、いったいどんな違いがあったのでしょうか?
それは、彼らが生活していたヨルダン南部の内陸乾燥域の居住地から55キロメートル離れた紅海の貝殻を、象徴品として用いていたという行動です。
現生人類の特徴として、海岸からかなり離れた場所で貝殻が見つかることは知られていますが、その貝殻がどうやら象徴としての役割を果たしていた形跡があったのです。
ものと交換するための貨幣としてなら考えやすいですが、なんらかの象徴として、つまりオーナメント(飾り・装飾)のようなものとして使われていたというのは、いったいなにを示しているのでしょうか?
それは、「美しい」という感覚を持っていたということです。
「美しい」という感覚が人類をここまで生存させてきたという考え方である。
一見「ムダ」なように見える中に人間が生き残ってきた秘密が隠されているのかもしれない。
上手く言語化できないものがアートによって表現されることもある。
音楽を聞くことで生きる活力を得たり、絵を見て心が浄化されたり、アートは人類にとって非常に大きな役割を担ってきたのかもしれない。
私のような「ムダが嫌い」と言っているような人間ばかりだと、滅亡してしまう。
普段、ムダだと感じていることを試してみるのも良いかもしれない。
私は絵を見ても全く心が動かないので、今日は黙って音楽を聞く時間を作ってみることにする。