どこの職場でもあると思うが、当院では「昇格試験」というものがある。
1年に1回、資格のある人は試験を受けて昇格のチャンスが巡ってくる。
もちろん、これには一定の条件がある。
①必須研修を受講しているか
②勤務態度は良好か
③所属長が能力に見合っていると判断しているか
①と②は努力次第でどうにでもなる。
しかし、③は「客観的評価」になるので、自分の努力だけではいけない。
「人間の能力なんて大差ない」と幼い頃から勇気づけられてきた。
40年以上生きてきて、「人の能力の大差」は無いと思う。
「大差」をどのような視点でみるかは別にして、読み書きがある程度できれば、努力次第で何とかなる。
時間をかければ成績は上がるものである。
しかし、社会に出ると「能力の差」を感じる。
人間としての「能力の差」は無いかもしれないが、組織人としての「能力の差」はある。
ほとんどは本人の努力次第で何とかなるのだが、それを「やる人」と「やらない人」で差が出る。
先日、Twitterの中で看護師の知識についての話題を目にした。
https://twitter.com/YLCOoWfGQoVLDb7/status/1404755780813746179
経験年数が1年であろうが、2年であろうが、10年であろうが、30年であろうが、継続的に学習し、知識やスキルを上げようと努力しない人は能力は上がらない。
薄っぺらな知識しか持ち合わしていない看護師はごまんといる。
1日の「業務」が終わればそれでいいと思っている人だってたくさんいる。
仕事というのは、それをカバーし合いながらチームでやっているのだ。
「そんな事も知らないで、よく今まで看護師やってきたな!?」と責めたくなる気持ちはあるが、それを言っても問題解決にはならない。
勉強しない人はしない。
せいぜい次に同じ事が起こらないように「共有」するのが関の山である。
人間は忘れる動物である。
「看護学校で習ったでしょ?」と後輩に言っている人を見かけるが、そもそも看護学校で習ったことなんてスッカリ忘れている。
最近は「覚えている方が気持ち悪い」と思ってしまう。
看護学校で習ったことは、継続して学習していないと忘れる。
正しくは、「看護学校で習ったことを継続して勉強してないの?」である。
「何年目だから・・・」という言葉はあまり好きではない。
若くても貪欲に努力して、知識やスキルを上げようとしている人には期待している。
逆に、何年経っても自分を変えようと努力しない人には期待していない。
そこに年数は関係ない。
ずいぶん話が逸れたが、「③所属長が能力に見合っていると判断しているか」の対策は、その所属長が何を好んで、何を嫌がるか・・・を観察する事である。
私は不器用でも日々努力している人には期待して昇格試験を勧める。
しかし、日常業務を器用にこなしても、『勉強の意欲の無い人』や『他人を馬鹿にする人』は昇格させない。
私が好むのは「努力」や「相手を大事に思う気持ちを持っているか否か」である。
組織というのは、能力の高い人が上に上がるのではない。
上司に認められた人が上に上がるのだ。
四の五の言ってもそれが現実であろう。
所属長にごまをする必要は無いが、認められるよう努力する事は組織で生きる以上必要なことかもしれない。
これは一朝一夕にできるものではない、時間をかけて継続してやるものである。