「なんでも良い」という男子たち
「男子」と限定してしまうのはちょっと語弊があるかもしれないので、先に謝っておく。
私の経験上、「男子」に多いので・・・そこはご理解頂きたい。
「晩ごはん何が良い?」と旦那さんに聞いて、「なんでも良い」と言われた経験がある奥様方も多いのではないだろうか?
「何でもいい」と言われたので、残り物で夕飯を作ると、「気分じゃない」と言われたり・・・
「は?」「何でもいい」と言ったよね?・・・とケンカになる・・・というオチ。
『何でもいい=責任の放棄』だと私は思っている。
管理者の仕事は「決定」すること
今日は、夕飯作りの話題で切り出したが、
管理者の大きな仕事の一つとして「決定すること」がある。
- 方針を決める
- 行き先を決める
- 物を決める
- 誰を配置するか決める
- 時間を決める
など、いろんなことを決めないと、一緒に働く周囲の人に迷惑がかかる。
管理者(師長)の決定に時間がかかると、後工程は更に時間がかかる。
慎重さは必要であるが、時間をかけるのも良くない。
私たち管理者は、管理の仕事を始めたときに「軸を持ちなさい」と言われる。
法律的に「良いこと」「悪いこと」はわかりやすいが、
業務の選択は、ある意味「正解が無い」世界である。
どちらかを選べば、どちらかに悪い影響が及ぶこともある。
棒のようなもので、片方を持ち上げると、反対側も同時に持ち上がるのだ。
そんな世界で仕事をしているので、自分の中で「軸」が無いと選択を誤る。
「理論的に正しいこと」を行うのが正解なわけではない。
正論を述べれば良いというものでもない。
人間は感情の動物であり、スタッフの心情や患者や家族の心情を汲んで判断しなければならない場合もある。
要は「バランス」をどう取るか・・・が一つの焦点になる。
なので「どちらでも良い」という管理者は仕事の責任を放棄していることになる。
誰かに「間違えている」と言われても、自分で選択して責任を取らなければならない。
最近、ある管理者(師長)がスタッフに、「どっちの物品でもいいよ」「あなたが決めて」と言っている姿を見た。
傍から見れば、スタッフに権限委譲しているようにも映るが、スタッフは困っている様子であった。
病棟の物品を選択するのに、「私が決めてよいのか」と負担に感じているようであった。
たかが物品一つであるが、スタッフの意見を聞きながら、管理者が「決める」べきであると思う。
「決める」ことは思っている以上に難しいものだ。
デートの行き先や、食事処や、相手へのプレゼント・・・
色んな選択をしながら私たちは生きている。
決定するには「判断軸」が必要になる。
判断基準を自分で持たなければ決められない。
「なんでも良い」は相手に自由度を与えているような一見優しい言葉であるが、
同時に責任を相手に押し付けていることになる。
できるだけ使わないようにしよう。