今までの人生の中で
「これ、やりたかったなぁ」
「結婚してなかったら、海外留学やっていたんだけどな」
「東京で働きたかったなぁ」
「看護師やってなかったら、カフェを経営したかったなぁ」
という思いはないだろうか?
一度や二度はあるだろう。
私は時々『ビジネス雑誌』(プレジデントやTHE21など)を読むのだが、ある雑誌(詳細は忘れた)の中に仏教の話が書かれてあった。
世の中には『かなう欲求』と『かなわない欲求』がある。
『かなう欲求』は努力すればかなう。
もしくはもう叶えている。
「看護師になりたい」と思って勉強し、看護師になった人は、欲求がかなっている。
一方、『かなわない欲求』は「やってみたかった」程度なのである。
つまり『妄想』
「宝くじが当たったらいいなぁ~」程度の妄想である。
過去を妄想して「あの人のせいだ」と思ったり、後悔や未練には価値が無い。
仏教では『怒りの業(いかりのごう)』と言うらしい。
人間関係のストレスは、その人(受け手)の性質や性格に「心のクセ」が働いている。
同じ環境でも、環境に耐えられる人、耐えられない人、文句を言う人がいるのはそのせいだ。
コンプレックスや焦燥感・不安がそこには潜んでいる。
私たちが出来るのは、「今からやれること」に集中することだ。
周囲の人の気持なんてコントロールできるわけがない。
過去の事は変えられない。
年齢は戻らない。
『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー著)の中には「関心の輪」「影響の輪」という言葉で説明されている。
変えられないものはある。
自分が変わって、受け入れるしかない。
でも、変えられるものはある。
自分が行動して変えていけば良い。
看護師を目指し、看護師として働きだして不満を言う人は多い。
だが、それは自分がなりたかった職業なのではないのか?
「こんな世界だと知っていれば、ならなかった」と言う人も多いが、それなら今から行動して辞めれば良い。
周囲の人や環境のせいにしても何も変わらないのだ。
こういう人は大抵、どの世界に足を踏み入れても不満を言う。
今は上手くいかずに不満は多いかもしれないが、自分が選んだ世界を自分が変えていけば良い。
周囲のせいにせず、自分が変われば良い。
そうすれば、少しずつ変わっていく。
そういう人が一人でもいれば、必ず良い方向に進む。
小さな一歩かもしれないが、一つずつ良くしていこうではないか。
出来ることをやろう。