毎日毎日、色んな情報が飛び交っている。
インターネットの世界を覗けば、時間があっという間に過ぎてしまう。
一時期「情報過多」という言葉が流行っていたが、その「情報過多」もコモデティ化された。
ドラッカーが「コンピューターリテラシーは当たり前のものになる、これからは情報リテラシーが求められる」と何かの本に書いていたが、まさにその通りになった。
「知識の量」は意味を持たなくなり、「どこに情報があるのか」「得た情報をどう活用するか」が重要になってきた。
私たちが若い頃にやっていた「知識の詰め込み」は何の意味があったのだろう・・・と虚しく感じる。
無駄だとは思わないが、「必要な知識」「使える知識」をよいタイミングで活用したかった・・・と思う。(簡単ではないのは重々承知であるが・・・)
さて、インターネットの世界が情報過多だと述べたが、医療の現場も情報が多い。
毎日毎日何かが起きて、委員会や上層部からのメール(お知らせ)が飛び交い、インシデントは起き、患者の家族のクレームは来る、退院調整や緊急入院・・・
そして、毎月送られてくる「褥瘡発生レポート」「転倒転落」「インシデント」レポート・・・色んな締め切りのお知らせメール。。。
考えただけで嫌になる。
最近はコロナのおかげで少なくなっているが、これに加えて「勉強会のお知らせ」も毎週のように来る。
現場の仕事以外の情報も多く、集中できなくなる。
管理職に送られてくる情報は仕方がないと考えているが、管理職に送られてくる情報をそのままスタッフに「横流し」してはいけない。
人間の脳は情報処理ができる範囲は限られている・・・と考えておくべきだ。
看護部から降りてくる情報や、患者からのクレームは必要最低限のみ伝える。
勉強会も自部署に必要なものをジャッジし伝える。
何にでも飛びついていては集中力が毀損される。
入ってくる情報は制限してこそ生きる。
子供の勉強と同じだ。
目に入るところに「ゲーム」「マンガ」「食べ物」があると集中力を欠く。
入ってくる情報を制限すれば集中力は自然と続く。
人間の性質というのは大人も子供もたいして変わらない。
「何をやるか」より「何を削るか(捨てるか)」を考えて、必要なものだけ残す。
時間を考えて、優先順位をつけなければ全てが崩れる。
そういう視点でみれば、自部署の「貼り紙」は本当に意味があるのかわかるはずである。
無駄な貼り紙を1枚でも剥がすことができれば、それだけで効率は上がる。