何でもそうだが、話をする人は「相手のために話す」事を忘れてはいけない。
師長(管理者)になると、「自分は偉い」と勘違いする人がいるが、そもそも「偉くも何とも無い」。
「『偉い』って何だ」って話。
師長になって、頭が良くなった気分になっているのであろうか?
自分がスタッフより「優れている」と思っているのであろうか?
賢くないのに「偉そうに」話す姿を見ると、見ている側が恥ずかしい。
面接にせよ、インシデントカンファレンスにせよ、師長が「偉そうに」話す姿はいつ見ても「ズレている・・・」と感じずにはいられない。
スタッフが「失敗」して事故が起こったとする。
人間なので「失敗」は当たり前である。
むしろ、「失敗」は「成長の機会」と捉えて、リカバーに注力しないといけない。
しかし、「よくある話」では、「師長(やお局たち)が失敗したスタッフを責める」という。
ある人が「失敗」したのなら、次は誰かが「同じ失敗をする」かもしれないということだ。
システムや環境に問題が無かったか考えて、次の事故を防がなければならない。
「気が抜けていた」「油断していた」などと『精神論』がお好きな管理者(師長)もいるようだが、考え方が化石すぎて、「自分は考える頭を持ってないです」と豪語しているようなものだ。
「気が抜けていても失敗しない」仕組みを作るべきではないのか?
「誰が悪い?」と考えている時点で「時代遅れの頭脳の持ち主」であると認識して頂きたい。
管理者のやることは、「生産性を上げること」「効率を上げること」である。
失敗したスタッフを安易に怒るのは、次につながらない。
ホモ・サピエンスは学習する動物である。
自己防衛のために次はミスを隠すようになる。
『自己』のために『事故』を隠すようになる・・・というギャグは笑えない。
となれば、答えは自ずと見えてくる。
ここまで読んで見えなければ、管理者失格である。
ミスを起こした本人が「求めている言葉」を言ってあげることだ。
「大丈夫だよ」
「珍しいね」
「何があったの?」
「◯◯さんがミスするなら、他の人も同じミスをするよね」
「後はまかせて」
「次起こさないためにどうしようか?」
など、『共感』しながら『次に繋がる』言葉がけをすべきである。
現場で起こったことは「現場の人間」「その場にいた人」にしかわからない情報がある。
机上で考えても、それは単なる「妄想」でしかない。
「こうすれば良かったのに」は「後出しジャンケン」である。
結果がわかっていたのなら、そんなヘマはしない。
いまだに、「A病棟の師長さんが、昨日のインシデントの事で朝から怒っている」という情報を耳にする。
「自分で生産性を下げるような行動を取ってどうする・・・」と個人的には思うのだが、確実に「組織の『時間』も『やる気』も無駄にしている」ので止めたほうが良い。
「自分が『師長』という役職を利用して、みんなの足を引っ張っている」と気づくべきだ。
もっと俯瞰して見るべきだ。
もう少し賢くなろう。