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乖離を最小限にする

看護師ブログ

「カイリ」と聞いて、「大動脈解離」を想像した医療者の方もいるかもしれないが、今日はそういう話ではない。

 

 

部署が変わって感じている事がある。

ベテラン看護師と若い看護師の「乖離(かいり)」である。

 

ここに「乖離」という表現を使ってよいのか迷ったが、私はそのような印象を受けている。

 

ベテラン看護師は「知識」や「経験」が若い看護師よりも多い。
これはある意味仕方の無い事である。

 

しかしそれを「共有」しようとしていない。

ベテラン看護師は面倒なのか、「これくらい知っているだろう・・・」と思っているのか・・・

確認もしないし、あまり「教えよう」としない。

 

若い看護師は「聞いてはいけない」と思っているのか・・・
ベテラン看護師を頼ろうとしない。

別に仲が悪そうではないのだが、両者の間に「距離」を感じる。

 

 

部署で珍しい処置や新しい物品が導入されたとき、情報を共有しているだろうか?

集団において、この「共有」は意外と難しい。

 

発信する側は「発信すべきかな」
「誰か他の人が発信するかな」
「聞いてもらえないかもしれない」と様々な感情を持ち、一歩が踏み出せない場合がある。

聞く側は話してもらえないと情報が入ってこない。

発信する側の「気持ち」次第で、共有の範囲が決まる。

 

 

社会には昔から「下の立場の者から尋ねる」という文化がある。
「自分から質問してこないとわからないよ」というわけである。

この考え方もわかる。

 

だが、上の人(経験の多い人)が自分から話す、語る・・・という文化は「共有」が容易になる。

私たちは「会話」によって整理され、共有される。

 

思考の整理学」という昔から有名な本があるが、この本にも書いてある。
他人に自分の考えを「話す」ことで、思考がまとまり、良い考えが浮かぶ。
一緒に悩むことで、知識が深まり、定着しやすくなるのだ。

そうやって私たちは進化してきた。

 

少し話がわかりにくくなってきたが、要は「会話して、情報共有して、成長しよう」という話。

 

まずは「何を喋っても良い」という『安全文化の構築』から始めないといけないようだ。

 

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この記事を書いた人

【めで師長】
ある総合病院で看護師長をやっています。
看護師経験は20年以上で、精神科・ICU・内科病棟の経験があります。

Twitterで書ききれない内容をブログの中で好き勝手書いています。
このブログが誰かのお役に立てれば幸いです。

※ブログの更新は不定期です。

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