「カイリ」と聞いて、「大動脈解離」を想像した医療者の方もいるかもしれないが、今日はそういう話ではない。
部署が変わって感じている事がある。
ベテラン看護師と若い看護師の「乖離(かいり)」である。
ここに「乖離」という表現を使ってよいのか迷ったが、私はそのような印象を受けている。
ベテラン看護師は「知識」や「経験」が若い看護師よりも多い。
これはある意味仕方の無い事である。
しかしそれを「共有」しようとしていない。
ベテラン看護師は面倒なのか、「これくらい知っているだろう・・・」と思っているのか・・・
確認もしないし、あまり「教えよう」としない。
若い看護師は「聞いてはいけない」と思っているのか・・・
ベテラン看護師を頼ろうとしない。
別に仲が悪そうではないのだが、両者の間に「距離」を感じる。
部署で珍しい処置や新しい物品が導入されたとき、情報を共有しているだろうか?
集団において、この「共有」は意外と難しい。
発信する側は「発信すべきかな」
「誰か他の人が発信するかな」
「聞いてもらえないかもしれない」と様々な感情を持ち、一歩が踏み出せない場合がある。
聞く側は話してもらえないと情報が入ってこない。
発信する側の「気持ち」次第で、共有の範囲が決まる。
社会には昔から「下の立場の者から尋ねる」という文化がある。
「自分から質問してこないとわからないよ」というわけである。
この考え方もわかる。
だが、上の人(経験の多い人)が自分から話す、語る・・・という文化は「共有」が容易になる。
私たちは「会話」によって整理され、共有される。
「思考の整理学」という昔から有名な本があるが、この本にも書いてある。
他人に自分の考えを「話す」ことで、思考がまとまり、良い考えが浮かぶ。
一緒に悩むことで、知識が深まり、定着しやすくなるのだ。
そうやって私たちは進化してきた。
少し話がわかりにくくなってきたが、要は「会話して、情報共有して、成長しよう」という話。
まずは「何を喋っても良い」という『安全文化の構築』から始めないといけないようだ。